俺の文章は稼ぐ力がない
稼げないからしばしば無価値と思われる
音楽も絵画も同じ
ただ、大衆が好む味付けをしない方が幸せになれる

自分の1番好きな文法をなぞって完成させた作品は、自分が1番好きな作品になる。「自分の作品を鑑賞する」以上に幸せな時間がないというのは、1つの宗教と言えるだろうが、
初めて、行動と幸福が無機的に結びつく
より幸せになるために、他人の目線を混ぜるのは間違いだ。
作品での収入は、もしかしたら、サブウェポンにすぎないかもしれない。
だから、審美眼が問われる
自分の眼が大衆とどれほど乖離しているのか
大衆のもつそれと限りなく喫緊した感受細胞は、
大衆からの判定に耐え抜き、収入の湧く作品となるだろう