「今を生きるための現代詩(著:渡邊十絲子)」を読んで

読書感想なんて縁遠いものでした。
よって、文章の書き方はもちろん、人に誤解させないような表現など私には正確に書けません。
ここまで読んだだけでも私の文章構成力の低さが伺えることと思われます。


今回は『今を生きるための現代詩(著者:渡邊十絲子)』
を拝読させて頂きました。

現代詩の楽しみ方を、教えてくれます。
楽しみ方を教わると、楽しめなくなるのが普通でしょう。普通じゃないかもしれません。押し付けのようなものがあるからでしょうね。

ですがこの著作は、その押し付けがましさを微塵も感じませんでした。
それは、現代詩の少し悲しい現状を嘆いたものであるからかもしれません。

詩集って感じしょうか。
訴えてくるものを感じました。

誰もが知る有名な詩人の有名な詩を教科書に乗せるという、誰もが信じて疑わないであろう普遍的な国語教育に対するアンチテーゼから第1章は始まっていました。
(や本当文章間違ってたらすみません

むずかしいな、と感じました。
生徒の予備知識がどのくらいのレベルなのか、先生は何を教えるのが正解なのか、とても一朝一夕に答えの出そうな問題ではなく、私はボーッと考えてしまいました。とても楽しかったです。
皆で答えを出してみたいですね。

第2章は、なんだか怖い詩が例として挙げられていました。
現代詩と怖さには密接な関係がありますよね。私も怖い話は好きです。
それも、死んだ人の怨念のようなありそうな理由による怖さではなく、ある種怪物的な狂った怖さが好きです。
理解出来ないものというか、巨頭オというか...詩で不思議な怖さを伝えてくれるのはスリリングで、あー生きててよかったなって思います。

第3章は「日本語の詩の可能性」
カタカナ、漢字、ひらがな、その他もろもろ、やぼったいくらい精密に伝えてくれる僕らの母国語。
そういえば日本のなんか精密機械の技術ってすごいみたいなことを聞いたことある気がする。
その天文学的な数の選択肢、世界四大河川の砂粒子の数を合わせるより多い(誇張かもしれない)組み合わせから、爬虫類のもつ化け物っぽさみたいな文章を紡げるって格好いいですね。
しかもその精細で複雑な魅力を共有出来る可能性を秘めてるなんて、人の脳みそはなんて贅沢な機能がついているんだろう、文字をつかうことはなんて楽しいんだろう!
って思いました

すみません、疲れてしまったので切り上げますが、序章と全5章、終章で構成されていて、全部とっても読みやすかったです。
詩人さんってスゴいんですね。本を書く能力が強いです。
現代詩は読む側だったけど、書く側もチャレンジしてみようかなあ...。